オランダという国
2025/05/22 16:53
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
オランダという国の凄まじさを学べる一冊。
低地を干拓するより作られた国であり、スペインというタチの悪いストーカーと戦い抜いた国でもある。
そして「オランダ人は生まれながらの画家」と言われるほど絵画が作られた国。
ウィット兄弟の無残な姿を描いた一枚はオランダの闇を窺わせる。
光芒の影に濃い闇を持つオランダで生きたフェルメールの静謐さはどうやって醸成されたのか。
謎は謎のままでいいのだろう…
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【なぞ多き人気画家が生きた“奇跡の時代”】17世紀、王を戴かず、経済の力で大国になったオランダ。庶民が絵画を愛する国でフェルメールら画家は何を想い、感じ、描いたのか。
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オランダ面白い!
「この世は神が造ったが、オランダはオランダ人が造った」という言葉に深く頷くばかり。
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これは面白い。フェルメールの絵についての造詣が深まるのも嬉しいが、何よりも17世紀のオランダの黄金期の背景を知るための歴史書として秀逸である。当時のオランダには2,000人もの画家がいて、500万点以上の絵画が流通していたというのは凄いことだ。そして当時のオランダが、男の識字率が57%,女の識字率が32%という周辺国ではダントツであったこと。ヨーロッパ中の船舶の半分以上をオランダが持っていたというのだから…
チューリップバブルも球根一つで家が2軒買えたというのだから凄いことだ。そしてそれらのことが当時の絵画の背景になっているのだ。そんなことがわかってくると、当時のオランダの絵画が興味深く感じるのだから、この本は読んだ方がいい。
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1. オランダ黄金時代の社会と文化
オランダは、17世紀半ばにおいて、他のヨーロッパ諸国と比較して非常に特殊な国であった。それは、「独立戦争」によって小国ながら大王朝に抵抗し独立を達成し、「絶対王政の時代に王がいない」という、当時としては珍しい形態をとっていたことからもわかる。経済的には、東インド会社のような巨大な株式会社が存在し、国際的な貿易で富を築いていた。
社会全体が非常に実利的であり、「割り勘のことを「オランダ式で行う」(go Dutch) という言い回しができたほどに」と表現されている。これは、オランダ人が見栄を張ることを少なく、実益を重んじた国民性であったことを示唆している。
特に注目すべき点は、絵画が特権階級や教会の占有物ではなく、市民に広く普及していたことである。「当時、他国から訪れた旅行者が、小さな商店や庶民の家にさえ絵が飾ってあるのを見て驚いている。それはとりもなおさず、オランダ以外の国においては絵画が特権階級や教会の占有物だった事実を物語る。オランダだけが図抜けて特殊だったのだ」という記述が、この特異性を強調している。誰でも絵画を購入できたということは、作品点数が多く、小型版が主流で安価であったことを意味し、この時期に「500万から1000万点もの絵が制作され(そのほとんどが現在では失われている)、最盛期のアムステルダム(人口二十万)には700人もの画家がいたと記される」ほど、美術市場が大きかったが、競争も熾烈であった。多くの画家は「得意分野を定めて、いわば専門多売に徹した。帆船だけ、花だけ、冬景色だけ、といったふうに各々が目的をしぼってそればかり描くのだ」。
2. 都市景観と市民隊
オランダの都市は、その景観が絵画に頻繁に描かれていることからも重要である。フェルメールの「デルフト眺望」やヤン・ファン・デル・ハイデンらの作品に見られるように、運河や教会、市民隊会所など、当時の都市生活を象徴する建物や風景が写実的に描かれた。特に「ヤン・ファン・デル・ハイデン「アムステルダム旧教会とアウデゼイズ・フォールブルグワル迎河の眺め」」の描写からは、アムステルダムが港町であり、活気に満ちていた様子が伺える。
市民隊は、中世以来の自治都市における自治組織であり、特に「裕福な商人たちが作り上げてきたエリート自警団だ」と説明されている。レンブラントの「夜警」に描かれた市民隊は、単なる肖像画ではなく、臨場感あふれるドラマティックな描写がされており、「オペラの舞台のようだ。今にも合唱が始まりそうだ」と評されている。
3. 女性たち
オランダ黄金時代の絵画には、様々な立場の女性が描かれている。ハルスの「ハーレム盲老人院の女性理事たち」は、社会における女性の役割の一端を示している。また、マリア・シビラ・メーリアンの「コショウソウとスリナムのヒキガエル」は、女性が昆虫画家として活躍していたことを示し、当時の科学や博物学への関心の高さを反映している。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は、「見る者の想像を膨らませ、もしやこうではなかったろうかと、彼女をより魅力的な存在にしているのだろうか」と評され、その謎めいた魅力が後世の人々を惹きつけている。
4. 必需品と信仰
当時のオランダ社会では、絵画のテーマとして日常的な「必需品」や「信仰」に関するものも重要であった。エーリンハ―の「画家と読みものをする女性、掃除をする召使いのいる室内」のような作品は、当時の室内風景や人々の営みを垣間見ることができる。
信仰に関しては、プロテスタントが多数派であったオランダにおいて、カトリックに関する主題も絵画に描かれた。フェルメールの「信仰の寓意」は、「宗教改革を成し遂げたルターだって、こう言っているではないか「酒と女と歌を愛さぬ者は、一生阿呆のまま」」という引用とともに紹介され、宗教と世俗的な楽しみの共存を示唆している。「イエス像が架かった十字架」や「ミサの際の聖杯」などのモチーフは、カトリック信仰と関連付けられている。
5. 風車と帆船
風車と帆船は、オランダの景観だけでなく、その歴史と経済においても重要な役割を果たした。風車は「この世は神が造ったが、オランダはオランダ人が造った」と自負する気持ちも納得がゆく」という言葉に象徴されるように、土地の干拓や排水に不可欠であり、オランダの建国史と深く結びついている。また、帆船は国際貿易を支え、オランダの富の源泉であった。ロイスダールの「ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車」やバクハイゼンの「アムステルダムのアイ港のフリゲート艦(テ・プルーフ)」は、これらの重要な要素を絵画に収めている。
6. 実学志向と事件
オランダの「実学志向」は、当時の絵画にも反映されている。フェルメールの「地理学者」やレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」は、科学や医学への関心の高まりを示している。解剖学は「一種の社交場でもあった」と言われ、当時の社会において学術的な知識が広く共有されていたことがわかる。
「事件」として取り上げられているのは、ヤン・デ・バーンの「デ・ウィット兄弟の亡骸」に関連するエピソードである。これは、「ウィレム三世はフランス軍を水攻めにして追い払い、イギリスと和睦して戦争を終結させた。だがこの災厄の年を境にオランダは衰退していった」という時代の転換点に起こった悲劇であり、政治的な争いの激しさを物語っている。
7. 食材
当時の「食材」をテーマにした絵画も存在する。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」やペーテルスの「魚の静物画」は、当時の食生活を垣間見ることができる。オランダは酪農が盛んであり、牛乳やバター、チーズは食卓に欠かせないものだった。また、海に囲まれた国として魚も重要な食材であり、「日本の人にしては「まな板の上の活きのいい魚」に見える」と評されるように、新鮮な魚介類が食されていた。
8. 手紙
「手紙」は、18世紀後半から19世紀にかけての「手紙の時代」に先駆け、オランダで普及していた。都市のメイドでさえ読み書きができるほど、識字率が高かったことが背景にある。ハブリエル・メツーの「手紙を書く男」や「手紙を読む女」は、当時のコミュニケーション手段としての手紙の重要性を示唆している。また、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」は、後の研究で下層に絵が隠されていたことが判明し、絵画の解釈に影響を与えたというエピソードが紹介されている。
9. 遊びと娯楽
オランダ黄金時代は、身分に関わらず「誰もが楽しめた」娯楽が存在した。ハルスの「ハーレムの聖ゲオルギウス市民隊幹部の宴会」のような市民隊の宴会や、ステーンの「宿屋の夕食に九柱戯をする人々」のような日常的な遊びの場面が絵画に描かれている。ヤン・コーネリス・ツ・ファン・トパ・カトの「ライデン大学解剖劇場」は、解剖学の講義が「一種の社交場」としても機能していたことを示しており、当時の知的好奇心と娯楽への関心の高さを物語っている。
これらの抜粋からは、オランダ黄金時代が経済的な繁栄、進んだ科学技術、市民社会の成熟、そして絵画の普及といった多角的な側面を持つユニークな時代であったことが強く伝わってくる。そして、ヨハネス・フェルメールをはじめとする画家たちが、当時の社会や文化をどのように捉え、表現したのかを知る手がかりが豊富に含まれている。
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フェルメールを通じて、苦手な芸術と得意な歴史を結びつけて、興味関心を広げようと思い挑戦しましたが、失敗しました。