羽柴秀吉とその一族　秀吉の出自から秀長の家族まで

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この書籍は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した羽柴（豊臣）秀吉とその一族について、従来の江戸時代の伝承や通説を見直し、当時の一次史料に基づいて新たな歴史像を提示することを目的とした研究書です。著者の黒田基樹氏は、秀吉研究が未だ江戸時代の伝承に大きく依存している現状を指摘し、秀吉の発給文書をはじめとする同時代史料の博捜と綿密な分析を通じて、秀吉一族の出自、家族構成、人間関係の真相に迫ります。本書は、秀吉の母・天瑞院殿（大政所）や姉・瑞竜院殿の本名、秀次や小吉秀勝の養子関係など、通説となっている情報の中にも当時の史料では確認できないものが多数含まれていることを具体的に検証し、何が事実で何が誤りなのかを明確にすることを試みています。

秀吉の出自については、父・妙雲院殿に関する複数の説を詳細に検討しています。『太閤記』では父を筑阿弥、『太閤素生記』では木下弥右衛門とする記述があり、後者では秀吉と弟・秀長、妹・朝日は異父きょうだいとされていました。しかし著者は、瑞龍寺の史料や各種文献を精査した結果、妙雲院殿の忌日が八月二日であり、死去年は天文12年（1543年）であったこと、そして弥右衛門と筑阿弥は同一人物の異なる通称である可能性が高いことを指摘します。結論として、秀吉、瑞竜院殿、秀長、朝日の四人は同父同母のきょうだいであり、父は清須織田家に在村被官として仕えた比較的上層の百姓（名主層）であったものの、晩年に没落し、そのため秀吉は貧しい少年時代を過ごしたと推定しています。

本書では、秀吉が「親類」として認識していた範囲を「祖父物語」と「駒井日記」という同時代史料から具体的に検出し、その家族関係を詳細に追跡しています。父方の親類としては、叔母である青木重吉母や福島正則母（松雲院）があり、母方の親類としては、叔母である杉原家次妻や小出秀政妻（栄松院）、従妹である加藤清正母（聖林院）などが確認されます。特に青木重吉と福島正則が共に侍従・公家成大名となり羽柴姓を与えられたことから、著者は彼らが父方の親戚であったと結論付けています。また、正妻・木下寧々の実母（朝日殿）、叔母（七曲殿）、兄（木下家定）、姉（長慶院）なども重要な親類として位置づけられており、これらの親族関係が秀吉の権力構造や政治的地位の確立に重要な役割を果たしたことが明らかにされています。

秀吉の織田家出仕と木下寧々との結婚についても、後世史料を比較検討しながら詳細に論じられています。秀吉の織田家仕官は永禄元年（1558年）に紹介によるものであり、当初は「小人」（奉公人）として仕え、その後の昇進過程で木下雅楽助から「木下」苗字を与えられたとしています。寧々との結婚は永禄8年（1565年）8月3日で、この時秀吉29歳、寧々17歳でした。寧々は杉原道松・朝日殿夫婦の娘として清須朝日村で生まれ、叔母婿の浅野長勝の養女となっていました。興味深いのは、寧々の学問指南役であった養雲院殿が、秀吉に木下姓を与えた木下雅楽助の姉であった可能性が指摘されており、これは秀吉が木下姓を称した背景に、単なる寄親関係だけでなく、妻の師の弟という縁戚関係も影響していた可能性を示唆して���ます。

秀吉の実子・養子問題についても詳しく検証されています。秀吉の最初の実子である石松丸秀勝は天正4年（1576年）に夭折し、その後は養子によって後継者問題を解決しようとしました。織田信長の四男である次秀勝を養嗣子としましたが、彼も天正13年（1585年）に18歳で病死。その後、寧々の兄・木下家定の五男である秀俊（後の小早川秀秋）を養子としましたが、天正17年（1589年）に実子・鶴松が誕生すると、秀俊の立場は微妙なものとなりました。鶴松も夭折し、最終的には文禄2年（1593年）に生まれた秀頼が後継者となりますが、この複雑な後継者問題が後の豊臣政権の不安定化要因の一つとなったことが示唆されています。

妹・朝日の徳川家康との結婚についても、従来の「秀吉の策略」説を覆す新たな解釈が提示されています。著者は、この結婚が家康側からの要望によるものであり、家康が秀吉への従属を決意した際に、秀吉の義弟という極めて高い政治的地位を確保するために朝日を正室に迎えたと分析しています。また、母・天瑞院殿の岡崎訪問についても、家康を人質に取るためではなく、家康の上洛中の安全を担保するための相互保証的な性格のものであったと解釈し直しています。これらの分析は、豊臣政権の成立過程における婚姻政策の実態や、秀吉と徳川家との関係の複雑さを示す重要な指摘といえるでしょう。